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「高い」も「低い」も存在しない。 「比較」が生む幻想に踊らされるなかれ

どれだけ速く動いても、
比べるモノがないと「止まってる」のと同じ。

僕らが「速い」とか「遅い」とかって感じるのは
周りに何か【比べるモノ】があるから。
徒競走では相手がいるから、
ひとりで走ってても、周りの景色が流れてるから
僕らは「速さ」を感じられる。

だけど、周りに比べる人もモノも、景色も全くない空間にひとりだと、
どれだけ速く動いても、止まっているようにしか感じられない。
仮にふたりいても、そのふたりが全く同じ方向に同じ速度で動けば、
やはり「止まってる」と感じる。

どれだけ高い位置にいても、
比べるモノがないと、それは「高いも低いもない」ことになる。

エベレストが高いのは、低い地面に立っているから。
マリアナ海溝が深い(=低い)のは、高い地面に立っているから。

周りに比べる人やモノがなければ、そこは高いのか低いのかも分からないし、
そもそも「高いも低いもない」ことになる。
エベレストにふたりで登頂すれば、どちらかが高いわけではないし、
そんなふたりを宇宙から見下ろせば、それは「低い」と言われるし、
だけど宇宙には上も下も無いから、「高い」とか「低い」とかの評価は
何の意味も持たない。

速いも遅いも
高いも低いも
美も醜も
明も暗も
賢も愚も

相対的なもの、つまり「比べる何か」があって初めて出てくる概念
それゆえに「何と比べるか」によって評価が全く変わるもの。
なのに僕ら人間は、その評価で一喜一憂する。

何の話をしたいのかって?

「何と比べるか」で、気持ち・モチベーションはいくらでも変えられるんだよ。
「低いモノと比べても意味がない」という反論は、あり得るだろう。
確かに、「高い」目標を掲げるほど、その目印としての比べる対象は高するべきだろう。
ただ僕は、それによって時に気が滅入り
そのせいで、せっかく続けられていたことが続けられなくなることだってあるじゃないか、と。
続けない限り、より高いところに行けないし
モチベーションが続かないと、かえって今より低いところに落ちてしまう。

目的によって比べるモノは変えればいい。
たとえば、目印をつけるときは高く、
モチベを維持するときは低く、
そうやって使い分ければいいじゃないか、と。
ひとつの評価軸でずっとやってると、必ず行き詰る時が来るよ。