子どもが「勉強する理由が分からない」あるいは「勉強なんかしたくない」と言ったとするね。
そうか、勉強、嫌いなんだな
勉強、したくないんだな
そう、思うよね。
子どもが「勉強したくない」と言った=この子は勉強がしたくない
と認識するよね。
僕はさ、結論付けるのが早過ぎると思うんだよね。
もしかしたら、
テストで友達に負けたのかもしれない
先生との相性が悪いのかもしれない
ケンカの流れで挑発してきたのかもしれない
反抗期で、反抗のための方便なのかもしれない
「点を取らなきゃならない」というプレッシャーに負けそうなのかもしれない
昔に言われた「バカだね」が、ずっと心に突き刺さってるのかもしれない
その子が、その人が、
何を言ったのかだけでは、
その子、その人が何をどう感じてるのか、分からない。
僕はね、
「何を言ったか」
より
「なんでそれを言ったのか」
に思いを巡らすことが、
他者を理解するための足がかりになると思うんだ。
面倒くさいんだけどね笑
手間が、労力が、時間が、要る。
でも、だから、
僕ら人間は消費カロリーを抑えるために、
「何を言ったか」
で即座に判断を下したがるんじゃないかな。
「なんでそれを言ったのか」を理解するためには、
会話と観察を、何時間も何日間も、続けていかなきゃなんない。
そして、色んな可能性を出して、排除したり組み合わせたりして、絞り込んでいかなきゃなんない。
そんなの、やってらんない?
そうだね。
出会う人、関わる人みんなになんか、やってらんない。
時間も体力も、どれだけあっても足りなくなっちゃう。
だけど、本当に大切な人にくらいは、
それくらいやってもいいんじゃないかな。
たとえば、そうだな、
初めて抱っこしたときに「自分の命に替えても守ってみせる」と誓った存在には、
対話と観察と考察にかかるカロリーくらいは、捧げてもいいんじゃないかなって、
僕は思うんだよね。


