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「国語の勉強の仕方が分からない」の根本的な理由。

「国語の勉強の仕方が分からない」の根本的な理由。

国語が苦手

国語の勉強の仕方が分からない

 

 

 

 

 

 

 

こういう悩みを持っている子は多い。

 

 

 

 

 

国語に限って「勉強の仕方が分からない」となるのは何故なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

英語の場合と比べてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

Today the Internet is everywhere, and our life has become very convenient because of that.

令和5年度第8回石川県総合模試 英語大問4 より

 

 

 

例えばこの文が読めない時、その勉強として

・単語を調べる=覚える

・文法確認、復習

・日本語訳

をすればいい。

 

 

 

恐らく何も言わずとも、最初の「単語を調べる」は自然とやる子がほとんどだし、

とりあえず「単語を覚えないと何もできない」という認識は誰でも持てると思う。

 

 

 

 

 

ところがこれが、国語となるとどうだろう。

 

 

 

 

小学生の頃、趣味といえば急須を磨くことだった。安価な万古焼の急須を乾いた布巾でこすっていると、やがて艶が出てくる。それが無性にうれしくて毎日磨いていたのだった。

令和5年度第8回石川県総合模試 国語大問三より 南木佳士「急須」

 

 

 

 

 

これを「読めなかった」と自覚できる子が、何と少ないことか!

 

 

 

 

「国語が苦手」と言う子にとって、この文は↓のように見えているはず。

 

 

 

【小学生の頃、趣味といえば■○を磨くことだった。☆△な※●□の■○を乾いた♪★でこすっていると、やがて¥が出てくる。それが§¶にうれしくて毎日磨いていたのだった。】

 

 

 

 

 

 

そして言うのだ。

 

 

 

 

 

 

「読んだよ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、気が付けない。

 

 

 

 

 

 

急須

 

安価

 

万古焼

 

布巾

 

 

 

 

 

 

 

これらの読み方と意味を知らないから分からない、ということに。

 

 

 

 

 

 

仮に「急須」を読めたとして、

 

 

お茶を淹れるアレ、おばあちゃんちとかにあるヤツ

 

 

くらいにまでは脳内に無いと、結局「で、何を磨いたん?」とね。

 

 

 

 

よりにもよって、この作品のタイトルが「急須」だから、

「お茶を淹れるアレ」を知らないと、もう何もできないという。

 

 

 

 

 

驚かないでほしいんだけど、「きゅうす」と言われてすぐにイメージできる中学生って、想像以上に少ないよ?

 

 

 

 

たぶん、桜丘〜二水に受かる子でも知らないことがあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

 

 

 

 

 

「きゅうす」は「急須」と書く、ということを学んだとして、

「きゅうすってほら、おばあちゃんちにあるでしょ?お茶を淹れるアレだよ」

と教えてくれる先生はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

理由は明らかで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然、知ってると思ってるから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校でも塾でも、いかにも「国語らしい言葉」の解説はするだろう。

 

 

 

 

でも「きゅうす」はしない。

 

 

 

 

だけど、「きゅうす」を知らないと命取りな問題もある。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、どうすればいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

あなたが、身の回りの色んなものやことを、出会うその都度、目につくその都度、頭に浮かぶその都度、

伝えてあげるしか方法はない。

 

 

 

 

 

 

日々の、小さな小さな1単語の積み重ねが、

 

中学〜高校〜大学〜社会人と、その歩みを決定づけるのだと、

 

是非とも胸に刻んでほしい。