多店舗展開している塾は、そのブランドイメージを守るため
「どこの教室でも同じサービスを提供できる」
という状態を目指す。
吉牛はどこの店で食べても「吉牛」であるのと同じように。
ただ、これは「塾」という産業には不向きだと思う。
「モノ」を売る店なら、同じ「モノ」を作る仕組みさえ整えられれば
「どこでも同じモノ」をラインナップできる。
が、塾の場合、
その塾、その教室を作るのは「ヒト」だ。
その教室長なり講師なりの「人間性」によるところが大きい。
言い換えれば、「ヒト」が違う限り、「同じ教育サービス」は提供できない。
それなのに「同じ品質」を目指すとどうなるか。
自然、低い方に合わさざるを得ない。
誰でもできるレベル、初心者でもある程度システムで解決できる程度のレベルに合わさなければ、
品質は整えられない。
確かに経営者の視点に立つと、そうしたい気持ちは痛いほどよく分かる。
自分の見えていない所でものごとが動くから、
責任を持つ意味でも、自分が安心したいという意味でも、
どこでも「コレ」というものを提供したいんだろう。
ただ、残念ながら「塾」の場合、多くはそれを実現するために
「質」を下げる方法を取る。
まさに僕が塾に勤めていた時に「やってらんね」と思ったことのひとつがそれに当たるんだけど。
そんなことを、車の中から吉牛を見て思った。