やる気が出たらする
は「永遠にしない」とほぼ同義である。
やる気があるからやる
とか
やる気がないからやらない
とか、そういう次元で語っている時点で、どの道何も変わらない。
だって、勝手にやる気が出てくることなんかあり得ないから。
そもそも「やる気」っていうモノ自体、僕は存在しないと思ってる。
仮に存在してるとしたら、それは
やってる時にだけ出てくるモノ
である。
コンスタントに結果を出す人は、存在自体が怪しい「やる気」なるものとは無縁で
やる
の一択である。
自分の力で「やる」を選べないのなら、周りの人・環境に助けてもらえばいい。
「やらされてると意味がない」って反論もあるだろうけど、
自分で「やる」を取れないなら、強制的にでも「やる」を選ばせるしかないんじゃない?
それが自分で「やる」を取る練習になるじゃん。
そう思えば「やらされてると意味がない」って言うのも実は
「やらせたくない」の意思表示なのかも、なんて思ったり
ね。