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成功/失敗の定義付け 〜屁理屈コネる神様にドロップキック

成功/失敗の定義付け 〜屁理屈コネる神様にドロップキック

これでブログを書け、というのが流れてきたから書いてみるかな。

 

失敗しないとわかってる時点で挑戦ではない気がするけど、それなら

宝くじ

かなっ笑

 

 

でもこれって「失敗しない」って言ってるだけで「成功する」とは言ってないよなぁ。

宝くじの失敗を「損すること」って定義するなら、300円ベットで当選金300円でもOKになってしまう。

そんなことで失敗しない権利を使うくらいなら「二重跳び100回チャレンジ」とかの方が良さげ笑

 

宝くじで失敗しない権利を使って成功したいなら、

ジャンボ宝くじ1等チャレンジ

っていう風にすべきだよなぁ。

 

それでもまだ足りなさそう。

仮に1等が3億円だったとしたら、300円を99万9999回買ってハズレでも、100万回目で当たったら損益ゼロの「失敗はしてない」状態。

たとえば99万9999回ハズレた時点でチャレンジをやめたら、それは「アンタが勝手にチャレンジやめたんでしょ」っていうことで、結果的に失敗することになってしまう。

そもそも、宝くじの失敗は損益で判断されるものなんだろうか。

「一度でも当たれば成功」という言い方ができるんであれば、確率がゼロでない限り、買い続ければいつかは必ず当たる、すなわちいつかは必ず成功する。

これをもって「ほらね、失敗しなかったでしょ?」って言われちゃったらマジで金返せだが文句は言えぬ。

 

だから

この一度きりの300円でジャンボ宝くじ1等当選チャレンジ!

くらいに言えばOKか。

 

いや、

それで当選しちゃったら散財して逆に借金地獄行きやさかい当たった方がハズレですねん

なんて言われた日にゃ屁理屈コネる神様をはっ倒したい気持ちを抑えて受け入れる他ないのか。

 

 

 

 

 

 

宝くじひとつとってもこれだ。

絶対的な成功/失敗というのは無く、成功/失敗をどう定義するかによって世のアレコレへの見方は全く変わってくる。

このチャレンジの失敗を定義するのは仮に神様だとして、

実際に僕らが日々ぶつかっているできごとに定義付けするのは僕ら自身である。

 

事実はひとつでも、それをどう捉えるのかによって生き方そのものが変わってきそう。

そんな予感がする今日このごろ。