注:本件、布団にくるまりながらダラダラと詰まんないことを考えてたので一旦言語化して寝ようというための記事です。よっぽどお暇な方のみお付き合いください。
何十年も何となく「これからは英語が喋れないとダメ!」と言われ続けて、それでもやっぱり日本人は喋れるようにはならないまんま、ICT版ほんやくコンニャクが発明されていよいよ喋れなくてもワンチャンOKな時代が来るかもしれない。
そんな中、せっかくなので「喋れるようにはならないのに学校英語が必要なワケ」を受験に必要だから以外に考えてみるコーナーをひとりでやってみました。
結論は「英語はいっそ国語に組み込めばいいんじゃね?」です。
@umezawajuku 英作文上達TIPs 受け身は気ぃつけや〜気ぃ抜くとエライコッチャやで は #うめざわ塾 #英作文 ♬ 吉本新喜劇のテーマ – ブリッツ・クラリネット・アンサンブル
たぶん英語を学ばなければ「食べられるの主語はケーキだ」なんて発想はまずしない。だけどこういう述語(部)の主語(部)を考えるのは読解の上でめっちゃ大事だし、コミュニケーションでもAIに指示を出す上でも基本的なスキルじゃないかなと。これが自然とできるか否かで情報収集/発信の正確性(およびスピード)に大きな差が出るし、指示の受け方/出し方もずいぶん変わってくると思う。
主述の関係に限らず他の多くの事項(たとえば「みる」にあたる英単語の多さ)でもそうなように、日本語と英語を行ったり来たりすることで言語力は格段に上がるし、言葉のセンスが磨かれるのは間違いない。
何も英語力として英語学習を活かす必要はなくって、むしろこれからは「英語が喋れる?ふーん、で?」な評価を受けることがもっともっと増えてきそうな予感がする中で、母国語能力を高める必要性はICT技術とともに生きる社会では相対的に高まりそうな気がする。
だから母国語能力(日本人にとっての日本語能力)を高めるために、あえて英語も国語内で扱っちゃえばどうだろう?という夜中0時の妄想記事でした。
寝ます。