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「子どもの自己肯定感を高めよう」セミナーに参加して思ったこと。

「子どもの自己肯定感を高めよう」セミナーに参加して思ったこと。

自己肯定感が高ければ多少のことでへこたれずに強く生きていける。

 

 

そうは言っても「自己肯定感ってなに?どうやって高めるの?」と思いますよね笑

 

 

なので行ってきました「子どもの自己肯定感を高めよう」セミナー with ナオちゃん先生。

 

 

そして感想は・・・

 

 

 

率直に「やっぱり大事ソレよねぇ」と再確認できました(^^)

 

 

 

 

 

ただ、「褒める」の上位互換「認める」というのは改めて言語化して頂けてありがたかったです。

 

 

「感謝」とも言えそうです。

 

 

 

 

 

「褒める」と言うと、「何かをしたことに対して」というニュアンスが含まれますが、

 

その「褒める」のハードルを極限まで下げたものが「認める」であり

「存在そのものに対して」となるとそれは「感謝」です。

 

 

 

 

 

講師の方が特に強調されていたのが

 

 

 

「好き」

 

 

 

と言ってあげてね、でした。

 

 

 

 

 

 

 

しかし幼児・低学年くらいだと「しゅき」って言えそうですが、

思春期にもなるとさすがに「好き」はハードルが高い・・・

 

 

 

 

 

中学生の我が子に「しゅき〜〜〜♡」ってしたら二度と目を合わせてくれなさそう笑

 

 

ですが、それは「会話に織り交ぜて自然に言えばいい」そうです。

 

 

 

「◯◯なとこ、好きやわぁ」

 

 

 

みたいな感じですね、

 

 

 

 

 

 

うーん、最初はかなり緊張しそうですが、

(何か久々にコクる気分笑)

別に我が子相手だから「フられる」という概念自体がないので安心してください。(履いてますよ!)

 

 

 

 

 

深層心理(性格)の部分を、親の「好き」で埋めてあげてください、とのことでした。

(スッキスッキスッキスッキスキッスキッ♪ア・イ・シ・テ・ル♪ #一休さんは偉大)

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば我々の世代は幼少期にそんな事を言われた記憶がないんですが、

それは時代のせいらしいです。

 

 

 

そう言われれば確かに、我々の親世代は親に(我々のジィバァ)育てられた訳ですが、

ジィバァは親に(我々のヒィジィバァに)育てられていて。

その辺りになると先の大戦で生きる死ぬを身近に経験している世代です。

敗戦を生き抜いた世代に育てられた我々の親世代は幼少期に「好きと言いまくられた」という経験がないのは想像できます。

(そんな余裕これっぽっちもなく、とにかく「食うので手一杯」をリアルに経験した世代が育てた世代が我々の親世代)

 

 

しかし我々は、我々の親が「食わせるので手一杯」ではなかったのを知っている。

だから我が親の育て方に「???」と感じながら大きくなったんですね。

 

 

そうして今、我々は育て方の「???」な部分を、言わばギャップを感じながら子育てに邁進していると思うと、

 

「え、そんなんされんでもそれなりに育ったのに」なんて思うのは当然なんですね。

 

ですが「食わせるので手一杯」イズムが無くなった現代において、

当時と同じ「親の姿」を見せていても上手くいくはずがない、と妙に納得してしまいました。

 

 

 

 

 

 

途中、ジィバァの話から散らかったのでまとめます笑

 

 

 

 

 

 

 

「君が好きだと叫びたい」を地で行きましょう♪

(この熱い思いを受け止めてほしい)