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「投げない」のではなく「投げられない」のかも。

「投げない」のではなく「投げられない」のかも。

うめざわ塾を立ち上げて4年目。

 

日に日に、今の子達の置かれている状況に落胆していく。

 

 

特に「読む」に関して。

 

 

 

 

立ち上げてすぐの頃は「読めば分かる」と、「読まないのは読む気がないからだ」と、

そう思っていた。

 

活字慣れしてないから読む習慣がない。

でも、読まねばならぬ時は読めるはずだ、と。

読もうと思えば読み取れるはずだ、と。

 

 

 

 

でも、年々その認識を改めるようになった。

 

 

 

 

読まないのではなく、読めないのだと。

 

 

僕は当初「読む力はあるのに読まない」と思っていたんだけど、そうじゃなく

「読む力がないから読めない」んだと。

そういう子が、一昔前よりもめちゃくちゃ増えてる印象。

 

 

たとえば、野球が上手くなりたいですよ。

それだったらしっかりキャッチボールしていこうってなりましたよ。

今までは「上手くなりたいならしっかりキャッチボールしなさいよ」「しっかりキャッチボールしないから上手くならないんだよ」っていう立場だったんだけど、

そうじゃなくてそもそも「投げられない」んじゃないかって。

 

これまでボールを投げてきた経験が圧倒的に少ないから、

いざキャッチボールしようと思ってもいわゆる女の子投げになっちゃう、みたいな。

だからまず、女の子投げにならないように「普通はこうやって投げるよね」っていう形から作っていかないといけない。

 

 

すでに「投げる」っていう基本的な動作はできるけど、まだまだ甘いところがあるから「相手の胸をめがけてまっすぐ投げる」という意識でもって投げるよう指導する

 

というのではなく

 

そもそも「投げる」っていう動作ができないから、そこからクリアしていかないといけない

 

という認識に変わった。

 

 

 

 

「読む」に関して今の子達が置かれている状況に強い問題意識を持っていて、

それを解決できるようじっくりきっちり塾生を育てていけるような場所づくりをしていかねば、と思っています。