loader image

「自主性」と「強制」のはざまで。

「自主性」と「強制」のはざまで。

勉強は自分からやってほしい。

 

 

これはもう、親の悲願ですよね笑

 

 

 

 

でも、なかなかそうはいかない。

 

 

 

 

だから半ば強制的にでも、やらせるしかない。

 

 

 

 

そりゃ、「勉強の楽しさを知って」「自分から進んで」やるようになったら最高ですよ。

 

 

 

その方が効果も上がる。

 

 

 

 

でも、それは理想、ほぼ机上の空論でしかなく。

 

 

 

 

やらせながら、そこに何とか楽しさを見出させて、

「勉強させられている」

というのに対するストレスを軽減してあげるしかない。

 

 

 

 

 

こういう言い方をするのは、ほとんど全員、圧倒的大多数が

「やらんでイイヨ」って言ったら途端にやらんくなる

「やれ」という圧力を緩めた途端にやらんくなる

というのを経験として知っているからだ。

(昔の大学生を思い浮かべてもらったら腑に落ちるハズ)

(今の大学生は、少なくとも国立大の子はめっちゃ勉強してます)

 

 

 

 

 

 

中学生なんだから自分から勉強するやろ

 

テスト前なんだから自分で勉強するやろ

 

受験生なんだから自分で勉強するやろ

 

高校生なんだから自分で勉強するやろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘いッス。

五郎島金時の大学芋より甘いッス。

 

 

 

 

 

 

 

やらせねば、やらない。

 

 

 

 

 

 

しかし、それだけではよくない。

 

 

 

 

だから、やらせつつ、自主性の芽を見つけ、水をやって、日に当てて、

じっくりじっくり育ててあげるしかない。

その芽も、ちょっとした風で(たとえば「高校合格」とか「親の目が行き届かない」とか)で、

アッという間に根こそぎ持っていかれてしまう。

 

 

 

 

そんな「自主性」と「強制」の狭間で、

僕ら親は苦心し続けなければならない。

 

 

 

きっとこれは、10年以上は耐えねばならぬのだろうと、

小1&年少の子を持つ僕自身、覚悟していることである。

 

 

 

 

 

それでも、頑張りましょう。

 

 

 

 

我が子への教育とは、20年以上もかけていっちょ前の人間を作る大事業です。

 

 

ちょっと数年、ちょっと十数年やったからって、それで手を抜いていいモノでは決してないのです。