バズらないと売れないから最近の曲はイントロが短いという情報を聞いてLOVE PHANTOMが売れる時代に生まれてよかったと思う、せわしい街のカンジが嫌なうめざわです。
(いらないイントロ捨ててしまおう♪←まずはお前がナ)
さて、娘(たぴ)が小学生になってからというもの、僕とナオちゃん先生との間では
学校は社会性を育む場所
という認識がかなり強まりました。
お友達と、先生と、授業や色んな活動・遊びを通して、
社会の中で生きる
ということを学ぶ場所が学校、てな感じです。
これは裏を返せば
個人の能力を伸ばす場所は他で用意せねばならない
ことを意味しています。
例えばコロナ禍でプールの授業が無くなったことで
「水泳が下手なままじゃないか!どうしてくれる!」
と怒るのは、何かチガウ、と思うのです。
だって僕、学校のプール授業を受けたのに全く泳げませんでしたから笑
5mとか、です爆笑
(大人になって練習して、今は平泳ぎなら泳げます)
学校の授業はあくまでも「水に親しむ」というレベルでしかできないですし、
上手になるための指導もなされないはずです。
(僕の中学校の先生はブーメラン一丁で現れプールの時間はずっと体を焼いてました笑)
水泳を、少なくとも「下手ではない」ようにするには、やっぱりスイミングに通わせるのが一番だと思うのです。
どこまで目指すかは別の話として。
これは主要教科でも同じでしょう。
学校だけで勉強ができるようになるとは思っちゃいけません。
(つい最近「学校の授業を聞くのが一番」みたいな記事を書いておいてなんですが、僕の中では一応、筋は通ってます)
つまり、学校で学ぶこと・学んだこと、学ぶ姿勢、応用のさせ方(視野の広げ方)などは、
学校以外で確認・修正の場を設けてブラッシュアップさせていかねば、個人の能力は上がっていかないと。
その確認・修正・向上を家庭内で完結するのはさすがに骨が折れる時代ですので、
塾みたいな所で習慣をつけさせたり、方向づけの相談相手としたり、目一杯利用していくのがいいかなと思います。
むしろ、習慣づけと相談相手が塾の大きな役割だと感じています。
(知識の伝達は当たり前として)
ネットを見渡すと「学校がこんなんでっ(激おこっ)」なご意見に出くわすことが多いのですが、
それに関して親と塾講師の両方の立場から私見を述べさせていただきました。