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我が子の勉強を見るのに「勉強ができる」必要はなくて。

我が子の勉強を見るのに「勉強ができる」必要はなくて。

子どもの勉強を見る=子どもに勉強を教える

 

と思ってしまいがちだけど、実はそんな必要はなくて。

 

 

 

 

むしろ「教えられる!」と意気込むと、かえって熱が入り過ぎて上手くいかないことも多々あって。

 

 

 

 

 

 

「子どもの勉強を見る」とは、本当にその文字通り

 

【子どもの勉強を見る】だけでいいの。

 

 

 

 

 

 

隣りに座って、目と手とペン先を見る

 

音読させて、目と口を見ながら耳をそばだてる

 

 

 

 

 

本当にこれだけでOK

 

 

 

 

 

 

これだけで「我が子が置かれている状況」がハッキリと分かるから。

 

 

 

 

 

仕事に家事に忙しい中とは言え、突き詰めれば

 

 

 

「我が子への興味」が、忙しさや疲労や煩わしさに勝るかどうか

 

という話になるんです。

 

 

 

 

そして勉強においては

 

 

我が子への興味が勝った親の子ども

 

 

が伸びていく、というのは断言してもいいかな、と思います。