指導・教育する場合に僕が一番、気を配っているのが
【それってわざと? それとも天然?】
の見極めだ。
「当たり前の基準」は人によってさまざまで、
年齢が低いほど「当たり前の基準」も低くなる。
大人の目から見て「当たり前」だったとしても、
目の前のこどもにとったらそうじゃないパターンがよくある。
反面、こどもにとっても「当たり前」なのに、
あえて(面倒くさいなどの理由で)そうしないパターンもまたある。
目の前のこどもの「良くない言動」に対して、
それがわざとなのか天然なのかで、アプローチの仕方が全然変わってくるし、
もしそれを読み違えたら、たとえばわざとなのに天然と勘違いして当たると
「コイツ楽勝♪」
ってナメられるし、
天然なのにわざとだと断定して当たると
「は?」
って納得しないままになってしまう。
どちらにしても、せっかくの教育が目的と全く逆方向の結果を呼んでしまう。
意味がないどころか、マイナス効果が出てしまうから絶対に避けたい。
当然、それを常に正しく判断し切るというのはかなり難しい。
でも、少しでも確率は上げなければならない。
じゃあどうしたらいいの?と言うと
観察
に尽きる。
日々の言動を観察し、分析し、「あぁ、こう思ったからこうしたんだね」というのに常日頃から意識を向ける。
目の前の「気になる」に対して、有効な手は「思いっ切りキレる」なのか「諭す」なのかが見えてくる。
もしくは「我が身の振り方」を変えるべきなのか、ということも分かってくる。
(「このラインを越えちゃったらバチ切れする」とかを日ごろからシミュレートしてたり、明示してたりもする)
何にせよ「教育」となれば「対象を注意深く観察する」というのは避けては通れない。
これは塾だろうが学校だろうが、家庭だろうが、同じだ。
この基本を地道に、愚直にやっていくのが「教育」というものだと僕は思っている。