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「テストで潰す親」になっていませんか?

テストは出来不出来を見極め対策を練るものであって
不出来を挙げつらって説教するためのものじゃあない。

テストは、その結果で出来を定量的に出して、
何らかの判断をするために存在している。

結果をもとに、次の手を練り実行に移すキッカケがテストだ。
その過程で、必要ならばお説教を食らわせても構わない。
しかしそれはあくまで、より良い結果へ導くための方策のひとつとして執るべき手段である。
お説教は劇薬だ。
用法・用量を守って正しく使わねば、猛毒となる。

つまり、お説教を食らわすことで、狙い通りの、より良い方向に導ける自信があるならGO。
無いなら、そこはグッと飲み込み、冷静に良い手を探っていこう。

たとえば「ワークを何周しよう」とか「塾を探そう」とか「学習習慣を付けよう」とか、
そういう方向に持っていきたいのなら、

「アタシはどんな顔で何と言えば、そうなってくれるか」

ここを考え抜くこと。
それが「良い手を探る」ということ。

あなたは今、どんな顔をしていますか?
そんな顔をした上司と同じオフィスで働きたいですか?
逃げるように外回りへ、なんて雰囲気じゃありませんか?

成果を出すチームは、どんなリーダーでしょうか。
テスト結果を、どうフィードバックしてくれるでしょうか。

さぁ
レッツ・シンキング♪