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「ヤル気がないのに勉強させても意味がない」は、指導側の怠慢だ。

「ヤル気がないのに勉強させても意味がない」は、指導側の怠慢だ。

「ヤル気がないのに勉強させても意味がない」って言葉、よく聞く。
本当によく聞く。
言いたいことは分かる。
気持ちがノってない状態で勉強させても効果は薄い。
だけど、この言葉ってよく「諦め」の文脈で出るよね。

ヤル気がないから意味がない=もうこの子は諦めた

そういう意味合いで使うよね。
つまりそれは、もう見捨てた、ってことでいいよね?
それって、指導者としての怠慢じゃない?

元々ヤル気があったら楽さ。
ちょっとヒントをあげれば勝手に伸びていく。
これほど楽なことはない。
もはや誰でもできるレベル。

僕はね。
ヤル気はね。
みんな、あると思ってるの。
見えるか、見えないかの違いなだけで、みんなちゃんとヤル気を持ってる。
地道に声をかけて、
「おっ、ちょっと分かるかも?」と思わせて、
「じゃあもう一問」って引っ張って、
元々あるヤル気を大きくして引きずり出して。
それが指導者じゃないか、って思うのよ。

だから簡単に「ない」とか言うな、って話。
もし「ヤル気ない」って断じるなら、それはその子を観るのをやめたってことだから。

うめざわ塾は、ヤル気があろうがなかろうが関係なく、引きずってでも学ばせる。
だって、ヤル気が出るのを待ってたら、高校受験なんてあっという間に来ちゃうんだから。

ヤル気スイッチの場所?押し方?
探しても出てこなかったら、作ってみせるよ。
お手製で、ね。