さっきの記事で書き切らないままフィニッシュしてしまった汗
「国語が分からない」は、そもそも語彙力の低さが原因なんだけど、
語彙力が低いなら、高めればいいじゃないか!
となるのが普通、と思う方も多いかもしれない。
しかし、そうはならないのが「国語」というモノだから厄介なんだ。
さっきの記事で
【小学生の頃、趣味といえば■○を磨くことだった。☆△な※●□の■○を乾いた♪★でこすっていると、やがて¥が出てくる。それが§¶にうれしくて毎日磨いていたのだった。】
この状態で「読んだよ」と答える子が多いと書いた。
これは
読めない漢字・知らない言葉が登場
↓
とりあえず読み飛ばしながら最後まで進む
↓
問題を解く
↓
間違う
↓
直す
↓
終了
というクセが付いてしまっているからだ。
つまり、
読み飛ばした言葉を調べる・質問する等してモノにする
という工程が抜け落ちたまま、そのクセが付いてしまったのだ。
このクセのまだいい所は、とりあえず「読む」ということをしていることで、
これがさらに悪化すると
読まずに問題を解く
とクセついてしまう。
宿題でもテストでも、とりあえず答えを書けば、当たったりハズれたり、提出OK、点数が出て、
「やらないといけないことはやった」
という状態を作れてしまう。
「それが国語という科目」という、無意識下にまで刻み込まれてしまった「クセ」が、
国語が分からない
勉強の仕方が分からない
国語はセンスだ
という考えへ至らしめてしまうのではないか。
少なくとも小学校6年間で「国語はそういうモノ」となってしまったら、
これを抜くには相当な意識改革が必要となる。
まずは
国語の勉強の仕方が分からないと皆言ってる=別に分からくてもOK
国語はセンス=自分はできなくてもOK
という雰囲気を、身近な人が取っ払ってあげることが大事。
これを読んだパパママ方へ
もう「国語の勉強の仕方が分からない」「国語はセンス」というセリフは今後禁止でお願いします(^^)