ネットが普及して、欲しい情報は手のひらにある時代。
「勉強」というジャンルも例に漏れず、文字ベースでも動画でも良質な情報はゴマンとある。
無料であっても。
情報の値段はかなり下がった。
ただ、そこにあるのは「多くの人向け」である。
つまり、どこまで具体性を持たせても「一般論」の域を出ることはない。
書いている人、撮っている人の眼の前に「わたし」がいないからだ。
今、そしてこれから、一般論としての情報がタダ同然で出回る代わりに、
「わたし」
に対する特殊な情報の値段は上がるだろう。
いや、そういう「特殊性」の質を上げられた場合、値段は上がるべきである。
今までよりも「質が向上した」のだから。
「勉強」に関しての一般的な情報が無料で出回っているからこそ、
塾は「わたし」に対する特殊性が肝になる。
何も「個別指導がイイヨ」っていう話ではない。
個別指導だって、未熟な講師なら結局「わたし」に対しての特殊性は低いから。
集団塾はそういう意味での特殊性が低い、という意味でもない。
集団授業であっても、そこに座る「わたし」を見て授業をすることができるから。
集団とか個別とかの形ウンヌンではなく、
その講師がどれだけ特殊性を持っているか
が肝要なんじゃないかな。
うめざわ塾は集団もやるし個別もやる。
そのどちらも「わたし」にとって特別な授業を目指す。
その面での「質」を上げる。
これまでもそうしてきたつもりではあるが、これからより強く意識して動いていく。