模試解説2日目、今日は理理社。
「勉強革命を起こそうぜ」
そう締めくくったのは社会。
「歴史」という科目は得てして
オジサンの名前
オジサンの顔
オジサンの事績
しまいにゃオジサンの使ったアイテムと
会ったことも無い「オジサン」について暗記しまくるという勉強なのかどうかも分からない勉強に陥りがち。
しかもそんな「オジサン」が次から次へと出てきては消えて、いったい何人の「オジサン」を覚えりゃいいんだと。
嫌になりながら、それでも頑張って覚えてきちゃった子に限って沼にハマる。
イマドキの社会はもはや、暗記ゴリ押しでは無理がある。
思考力的な面が強調され出したのもあると思うけど、
ぶっちゃけ暗記オンリーじゃ差が付かないから
という面も無視できないんじゃないかと思ったりする。
つまり、せっかく「入試」というセレクションを設定してるのに、「落とす子」を見極めたいのに、
全然差が付かないならセレクションの意味ねーじゃん
っていう。
まぁそれはさておき、もはや暗記ゴリ押しじゃ通用しない時代なのに、
暗記ゴリ押しで何とかなっちゃった時代の大人たちが口を揃えて「暗記しろ」って言っちゃうもんだから、そのギャップに悩まされる子が多発中、
というのが、最近見聞きする「社会嫌いが多い理由」なんじゃないかと。
社会は、歴史は、そんなくだらない科目じゃない。
どこの誰かも知らないオジサンのことを覚えてあげるだけの、そんな詰まらない科目じゃない。
「分かったら面白い」
塾生からはそんな声も聞こえる。
そう、君らが必死に覚えたオジサンたちは、こんなにもおバカで、こんなにも賢く、こんなにも勇敢で、
こんなにも現代の我々に影響を与えている存在なんだよ。
「そんなこと知ったって何になる」という反論も聞こえてきそうだけど、それは無知な人の言い分だ。
まさに「そこ」が、試験で問われる時代なのだから。
さぁ、ただただ歴史を「オジサンのやったことを覚えるゲー」だと割り切って勉強してきた君。
勉強の仕方をガラッと変えよう。
少なくとも勉強というものを始めて9年で体に染み付いたその勉強の癖を変えてゆこう。
勉強革命を起こすのだ。