たまに勘違いをされている方がおられるんですが
近年の英語長文の長大化により「速読力」が必要だ
という話。
これは
ウ
ソ
です。
それも
真
っ
赤
です。
もはや
真
紅
です。
紅に染まったこのオレオ
です。
オホン
確かに長くはなっていますが、所詮、
普通に音読するスピードで読み進められれば時間内に解き切れる
くらいの分量でしかありません。
なので「長文で時間が足りない!」という方は
①音読するスピードで読み進められない
②音読するスピードが遅い
のいずれか、または両方です。
①に関しては、音読するときは前から読んでいくのでこれまた
「英語を前から読む練習をしなきゃ!」
と思われる方もいるんですが、
いや、的外れではないんですが、
そもそも後ろから読める状態じゃないと前からなんて読めっこない
のです。
ですので「英語を前から読む練習をさせる」段階にある子というのは、
「すでにキレイな和訳をストレス無く作れる」
という状態の子を指します。
よって、お子さんが「すでにキレイな和訳をストレス無く作れる」のか、それとも「キレイな和訳を作れるとは言えない」のかで、全くアプローチが変わってきます。
前者の場合はドンドン前から読む練習を、できれば音読しながら進めるとよいでしょう。
後者の場合は、まずはどれだけ時間がかかってもいいのでキレイな訳を作ってみましょう。
なお、前者に関しても「意味が取れているのか」は、やはり和訳をさせてみないことには測りようがないので、
結局は和訳をさせる
ということになります。(和訳のさせ方には工夫が必要)
②に関して、これは僕の持論なのですが、
音読スピードが遅い、つまり読み違え・読み飛ばし・詰まり等が多く滑らかではないその読んでいる姿が
「普通に意味を捉えよう」と思って黙読している時の脳内の様子そのものです。(加えて、その状態で意味を正確に取れることは極めて稀です)
この状態だと、同じ訳を作るでも時間はめちゃくちゃかかりますし、
他の教科・科目でも同じようなことが起きているので伸び方がかなり鈍くなりがちです。
ただ、これは訓練次第で改善可能で、その方法はただ1つ。
音読をすること
であります。
ただし、読み違え・読み飛ばし・詰まり等を常に指摘する、という「誰か」の存在が不可欠です。
(音読スピードが遅い子の場合、間違え・飛ばし・詰まりに自分ひとりで気付くことはほぼありません)
さて、これ以上長くなると誰も読んでくれなさそうなので急遽まとめますが(ここまで読んだ方はもうちょっとの辛抱です!)、
近年の英語長文の長大化傾向に関して「速読力」なるものは必要なく、
「普通に音読するスピードで意味を捉えられれば十分」です。
よって「普通に音読しながら意味が取れる」状態を目指せば事は足りますし、
それは「普通に音読しながら意味を取る」という練習をする他にないのであります。
ただし「普通に音読しながら意味が取れる」ようになる前段階には
「ストレス無く和訳が作れる」という段階が鎮座しておりますし、
「普通に音読しながら意味が取れているのか」を確認するにも和訳をさせるしか方法はありません。
つまり、近年の英語長文に対応するための有効打は
和訳と音読
となります。