集中力って、気合じゃないんですよ、実は。
気合が入ってるから集中できるのでも、
気合が足りないから集中できないのでもなく、
「集中する力がある」から集中できるし、
「集中する力がない」から集中できない、
そういうことなんです。
つまり「集中力」は
育つもの/育てるもの
なんです。
たまにおられるんですが、我が子の集中力の無さに「失望」してしまう方が。
つまり、
集中力が無い=気合が足りない=塾に行っても意味がない
という論理展開の末に辞められるという方が。
そういう帰結になってしまった方には、それ以上こちらから何か申し上げることはしないんですが、
この論理展開は間違っていますよ、というのは賢明な読者様には理解していて頂きたいなと。
(別に直近で誰かがそういう理由で辞めた、とかじゃないですよ?笑)
(ただ、ふと思ったことを書いているだけで)
現状で「集中力がない」と思われるのは、
今までの人生で「集中力が育つ」「集中力を育てる」ようなことをしてこなかったからに他ならず。
教育現場に10年近く立っている目から見ると
「あぁ、そこ(集中力)から育てなきゃなぁ」
「こりゃ根気がいるなぁ」
と感じる子は少なくなく、年単位で時間を要するのを覚悟の上で指導に臨むのですが、ものの1年いくかいかないかで親御様の方が「失望」してしまう場合がありまして。(集中力の無い子ほど、そういう親御様が多い印象)
こちとら、お子様を預かる以上はそれなりの覚悟の上で指導して
「お、この1年でずいぶん変わってきたなぁ」
と感じ始めた矢先に、
「もう意味ないんでやめまーしゅ」
とか言われちゃうと、何とも言えない無力感に苛まされること山の如しなんですね。
集中力って今日からでもすぐに育つもの
そもそも「集中力は育てるもの」
という認識がないんでしょう。
まぁ、辞めた瞬間に「他所の子」であり、他所の子に思いを馳せられるほどのソースを持ち合わせてないうめざわ塾としては、山のような無力感も割とあっさり消えていくのですが。
なので本記事は愚痴の類などでは全くなく、
啓蒙/啓発的な意味を込めたものだと受け取って頂けると嬉しいなと思う次第であります。
こんなことを考えてるうちに中3の漢字理社テストが終わりそうなんでそろそろ戻ります。