loader image

人からヤル気を奪うのはいつだって〇〇だ。

人からヤル気を奪うのはいつだって〇〇だ。

本来、人には「もっとできるようになりたい」「もっと役に立ちたい」という気持ちが宿っている。

誰もがちゃんと向上心を持っている。

ヤル気、と言ってもいいかも。

 

なのに「ヤル気があるやつ」と「ヤル気がないやつ」に分かれちゃう。

誰もが元々、持ってるんだから後者は「無くなってしまった(ように見える)」のだ。

 

勝手に無くなったのではない。

自然と無くなるもんじゃない。

むしろ自然と、増していくものだ。

 

向上心は、ヤル気は、いつだって他人が奪う。

自分以外の誰か、それは先生や、友達や、親や、上司や、部下や、同僚や、夫や妻や子どもや、目に見えない人・会いもしてない誰かや。

そんな自分以外の誰かが、たとえそんなつもりは無かったとしても、奪っていく。

人間は社会的動物だから、常に社会(ここでは自分以外の人たちの総称)から良くも悪くも影響を受ける。

 

もしも

 

もしも、我が子に「ヤル気ねぇなコイツ」と思うのであれば、その子からヤル気を奪った犯人は何なのかを冷静に探してあげてほしい。

もしかしたら貴方かも知れない。

その時は、

そうじゃないんだよ、そんなつもりじゃなくって本当は応援したかったの、ゴメンね。

と伝えよう。

納得してくれるまで、何度も。

 

もしかしたら貴方じゃない別の誰かかも知れない。

その時は、

そういう風に考えなくていいんだよ、君は正しかったんだよ、何も心配せずにまたやってこうよ。

と、また腹落ちするまで何度でも伝えてあげよう。

 

その子が置かれている状況、感じたこと、考えてること、少し先の未来から遠い未来まで、真に見て寄り添って一緒に考えてあげられるのは、親である貴方しかいないのだから、その仕事は貴方にしかできないのだから。

貴方が諦めてしまえば、もうその子を救ってあげられる人は現れない。

もう「ヤル気の無いやつ」のレッテルを貼られたまま、これは自身もその自覚を持ちながら、少なくともその分野でヤル気が蘇ることはない。

 

「ダメだな」と断じてしまうのは簡単だ。

いとも簡単に、ひとりの子の可能性のひとつを消せる。

そんなことを、許してはならないはずだ。

少なくとも、消えないように守ろうとするべきであるはずだ。

 

人はいつも、どこからでも、可能性を消される。

消さないための何かをしてあげられるのは、親である貴方しかいない。