
ヤル気があろうがなかろうが
楽しかろうが楽しくなかろうが
子どもの習い事など所詮、親の一声で決まる。
「行け」と言われれば行くし
「行くな」と言われれば行かない
「続けろ」と言われれば続けるし
「別にいいんじゃない?」と言われれば続けない
「ヤル気がない」だとか
「やると言ってくるまで待つ」だとか
それは自分の不手際を子どもに転嫁してるだけである。
ヤル気なんぞ、やってからでないと、続けてからでないと出やしない。
そこに「やらせる者」「続けさせる者」がいなければ、人は(特に子どもは)易きに流れるのが自然の摂理。
よかれと思ってと、半ば脅し文句的に使った「じゃあ辞めるか!?」だって子どもからすれば内心、「え?いいの?」と、いつ「じゃあ辞める」を口にするか、そのタイミングを見計らうだけである。
無論、果実は続けた者だけが掴み取れる。
ひとつのことを続ける人間なんて数えるくらいしかいないからだ。
ひとつのことを続けさせられる人間も同様に。
うめざわ塾では年に何人も辞めていく。
みな、細かい事情はさておき親が先に音を上げた結果である。
自然とうめざわ塾には「頑張らせたいママ」が残る。
だから塾生たちも「頑張りたい子」だけが残っていく。
頑張らせたいママ・頑張りたい子にはうってつけの環境が勝手にできてゆくのだ。