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言葉の「定義」が大切なの。

言葉の「定義」が大切なの。

ひと昔前はね、理社なんか暗記でよかったんだよ。

 

 

僕の時もそうだったし、

パパママもそう。

 

 

 

 

かつては知識量、つまり暗記でゴリ押せた。

 

 

 

 

暗記に次ぐ暗記で70、80、90点と、カンタンに点を伸ばすことができた。

 

 

 

 

それから数十年、時代は変わり、「思考力」が問われるようになった。

 

 

 

 

今は、かつての「暗記でゴリ押し」ではもはや通用しない。

 

 

 

 

暗記でゴリ押せるのは、良くて50-60点までか。

 

 

 

 

 

今は

 

 

 

 

 

 

暗記など当然、「語句を答えられる」なんざやって当たり前、

大事なのはその次の段階、

いかに思考へ結びつけるか

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

 

 

パパママ世代の

「理社なんか暗記すりゃイケるやろ」

「理社が低い=暗記をサボってる=けしからん」

という評価はフルシカトでOKである。

 

 

 

 

もちろん、暗記をサボってるのはけしからんし、

暗記が大事なのも言うまでもない。

 

 

 

 

だが、

 

 

 

 

点が奮わない=暗記が足らん=けしからん

 

 

 

 

 

はちゃいまっせ、という話。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、知識を思考へ繋げるために、何が必要か。

点が奮わない子に、何が足りていないか。

 

 

 

 

 

 

 

言葉の「定義」である。

 

 

 

 

 

 

 

人は「言葉」で思考する。

 

 

「言葉」があってこそ、思考が深まる。

 

 

 

 

だから学問では、ものごとを説明する上で

「〇〇を△△という」

と、必ず「定義」が登場する。

 

 

 

 

 

 

 

 

その「定義文」を理解し、

その「定義文」まで覚えているか。

 

 

 

 

 

それが思考の「第一歩」となる。

 

 

 

 

言葉への気遣いが、思考の入口となるのだ。