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「…来ないな」

 今日から参加の中2女子の姿が見えない。勉強は好きじゃないようだから色々と仕掛けを用意していたんだけどな。そういえば雪がひどくなってきた。来るのに手間取っているのか?

ピロン

スマホが鳴る。例の子のママからだ。嫌な予感がするなぁ。

「ちょっと目の前まで来たんですけど言い合いになっちゃって…すいません、少し遅れちゃいます」

予感的中。だけどすぐ近くにいるなら仲裁に入れるかもしれない。塾生には指示を出し、表へ出る。

棒立ちする女の子が真っ先に目に飛び込んでくる。口は真一文字に結び、目は潤んでいる。髪に落ちる雪が一層、頑なにさせているようだ。

「すいません、実は…」

ママの説明がなくても分かる。「行きたくない」「約束したでしょ」「行くなんて言ってない」「もうお金払ったんだから」そんな応酬の末、どうしても一歩が踏み出せなくなったんだ。

「もう一度、親子でよく話し合ってみてください」

これ以上、雪の中でやり合って風邪でも引いたら大変だ。それにこれ以上、塾生たちを放っておくわけにもいかない。ひとまずそう告げて車を見送り、塾生たちのもとに戻る。

 もしかしたら…あの子はもう来ることはないのかもしれない。

そんな考えが頭をよぎる。だけどともかく、どうにか彼女を変えるためママと作戦を練ろう。

 この日はその後、部屋にこもりっ切りで話ができなかったようだった。ママにも少し冷静になってもらって、明くる日からLINEで作戦会議が始まった。

「とにかく冷静に、まずは話を聴いてあげること、言葉を引き出してあげることだけ考えてください」

「イヤだの一点張りです」

 そんなやり取りが続く。それでも、とにかく対話でこちらに引き込むキッカケを掴みたい。とにかくひと言「ウン」という言葉を引き出せれば、続く見込みは十分にある。だから塾へ向かう一歩を踏み出せれば、踏み出そうとする背中を押してあげられれば…

 そう思って会議を続けているうちに、あっという間に年末が来る。結局、今年はあの子と勉強することはできなさそうだ。

 来年は、会えるだろうか。それとも。

ピロン

 LINEが鳴る。

「インフルエンザにかかったので冬休みは行けなくなりました(´;ω;`)」

完全に塾へ行く理由が、キッカケがなくなった。うまくいかない時って、間が悪いことが起こりやすいのはどうしてなんだろう。

「まずはゆっくり治して元気になってください(^^)/」

そう送った瞬間、雪の中で泣いていたあの女の子がどこか遠くへ行ってしまう気がした。

 年が明け、新たな気持ちで一年を始めよう。去年のことは、もう引きずらない。さて新年、目の前の塾生たちに僕の全てを注ごう。すぐに冬休みが明ける。間もなく入試に学年末テストに春の募集に、大忙しの日々だ。今のやるべきに集中せねば。

ピロン

例のママからだ。

「結局、冬期講習は行けませんでしたが、振替で1~2月で行かせてもらうことはできますか」

お・・・? あの子がそれに「ウン」と言ったのなら、僕に断る理由はない。

「いいですよっ 曜日を決めましょうか!」

意外だった。年末年始にインフルエンザで、かえって親子でゆっくり話す機会が持てたのかも。もしかしたら年が明けて何となく気持ちが変わったのかも。ペースや量に気を払いながら、すぐに2月までの予定を組んで返信する。

「行くと言っています。ご迷惑おかけしますがお願いします」

彼女との1年が、ここから始まった。

 

 あの雪の日に見せた姿とは打って変わって、塾ではゴキゲンで勉強してくれる。ただし、甘いところもある。テスト前でも頑張り切らない。理由をつけては早退したり休んだりする日もある。もどかしいけど、それはママも同じ、いや僕以上にもどかしく感じているだろう。焦らず、じっくりと「続ける」ということを最優先に。そしてママとも連携してジワジワと勉強機会を増やし続けよう。

 だけどいい兆候もあった。インフルエンザの振替が終わり、3月からどうするかという決断に「通う」との返事。やはりこの子の中で何かが変わった。大きい変化ではないけれど、確かにキッカケは掴めた。

 3年生が始まり、心機一転。とはいかず、甘い面はちらほらと見えた。LINEに加えてお迎え時にママと相談という名の作戦会議を開き、徐々に勉強時間を増やそうと腐心する日々。それが功を奏してか、夏前には初の10-10(テスト前12時間勉強DAY)完走、そしてうめざわ塾のホンキの夏期講習も走り切るなど、ずいぶんと「受験生らしく」なった。この頃にはもう甘さは見られず、ママとの作戦会議も必然と開かなくなった。

とは言え乗ってきたというわけではなかった。志望校、成績、そして危機感との戦いが始まったんだ。僕としては得意分野だけど、彼女にとっては未だかつてないプレッシャーとの長期間にわたる戦いだ。半年前に感じていたのとは別の意味で「続ける」ということをさせるのが僕のミッションになった。

 迫る期限。高まる危機感。気付けば外には雪が舞っていた。

あれから1年が経ったんだなぁ。

 雪の中で親子喧嘩・大泣き事件から1年。目の前で勉強しているこの子は同じ子か? 受験生の中でも誰よりも早く塾に来て、誰よりも遅く帰る。雪だろうと風だろうと関係なく塾に来る。いたずら心が働いた僕は彼女に声をかけた。

「1年前さぁ、覚えてる?」

「何が?」

「雪の中で泣いてたやん」

「あれはさすがにアカンわ」

「俺は焦ったよ、めっちゃ泣いてたもん」

「やめて(笑) あれはわたしの黒歴史」

「ママも参ってたで」

「ママには悪いことしちゃったなぁ」

「でも1年前からは想像できひんよ、今めっちゃ頑張ってるやん」

「もうあんなことしんもん。もっと頑張る」

黒歴史と笑いながら、すぐに今やるべきことに戻る。入試の前日は「明日に備えて自由に過ごせ」としたけれど、やっぱり塾に来る。そして最後の最後まで勉強して

「あかん落ちるぅ」

なんて泣き言を言いながら帰って行く。

 入試が終わった。結果が出るまで、ずっと「アカン」「落ちた」って言い続けていた。僕は、結果がどうであっても彼女は大丈夫だと思った。だけどそうとは言わず「大丈夫」「いけるいける」と声をかけ続けた。

 数日後に彼女が手にした【合格】の文字は、たった二文字では表現しきれないくらいの大きな意味を成していた。