子どもたちは、
みんな違う道を歩いています。
ある子にとって簡単にクリアできるものが、
別の子にとっては難しかったり、
ある子にはすんなり理解できた説明でも
別の子には腑に落ちなかったり。
これは優秀かそうでないかの違いではなく、
成長の道筋もスピードもステージも違うだけなんです。
だから、なかなかクリアできなかった子も時間が経てばいつの間にかクリアできていたり、
ある説明で腑に落ちなくても別の言い方をすれば深くうなずいたりするんです。
子どもたちはみんなそれぞれ顔も背丈も違うように
ひとりひとり成長ルートも段階も違う。
なのに、
ひとつの部屋に
同じ年齢の子たちが詰め込まれ
同じことを
同じペースで
同じように学ぶ。
本当に、それでいいのでしょうか。
最終到達点さえ同じであれば、
それぞれがそれぞれのチェックポイントをたどりながら
それぞれの道を歩いて行っていい。
むしろ、その方が効率的なはずです。
ですが今、子どもたちが置かれている環境はそうじゃありません。
なぜか。
塾講師を10年以上やってるから分かるんです。
教える側の効率
です。
もちろん「指導の効率を上げる」という考え方を否定したいのではありません。
とても大事なことですし、追及するべきだとも思います。
しかし、決められたルートとスピードから外れたら
取り返しがつかない中で学ばせるのは、かえって非効率です。
そういう状況を容認してしまっているのであれば、
その「教える側の効率」は「教わる側の効率」を無視しているとすら言えるかもしれません。
うめざわ塾は、
塾生には塾生の数だけ、学ぶ順序や考え方、納得の仕方があって然るべきだと考えています。
目指すべき場所も、目指すべき姿も様々あっていい。
ひたむきに進んでいけさえすれば、それで素晴らしい。
それには高い指導レベルが求められます。
塾生を観察し、表情や言葉の機微を感じ取り、
塾生の学び方を見極め、時々に合った伝え方をし、
あえて失敗させ、またともに成功を喜び、
焦らず急かさず、しかしテンポよく、
学びを進められるように導かねばなりません。
だからうめざわ塾は、
経験豊富な「ある教育者」に
兼六校を託します。
彼は10年以上、まさにそうやって
多くの子どもたちを(もしくは親たちを)導いてきました。
彼の作る「うめざわ塾兼六校」は
子どもが、
自分の未来を
自分の足で歩く。
といううめざわ塾の教育哲学を形にした場所なのです。



